「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 036
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稲垣真美 『兵役を拒否した日本人』 
岩波新書 1972

 

 

 

   

 

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いまこれを書いているのは平成17年である。この時点で、憲法を改定し我が国も軍隊を持ち、海外に軍隊を派遣することをも法律で容認しようとする勢力が勢いづいている。いつの間にかそれが社会的常識になってしまった。この動きに反対する勢力もあるにはあるが、もはや少数派と化している。

本著は先の戦争において、戦争を推進した軍部や官憲の強大な権力に最後まで抵抗した少数の人々の記録である。それは灯台社というキリスト教集団に属した人々である。

灯台社は1927年以降、主宰者明石順三が各地で講演会を開き、聖書における「神の国」の福音の宣明に努めることや『黄金時代』『なぐさめ』『灯台』などの機関紙、小冊子を発行し文書伝道を全国的に展開していた。

当時は治安維持法による言論と思想の弾圧によって、軍部・官憲に反対意見を述べることは厳しい弾圧を受ける立場にあった。しかしここに挙げる人々は聖書の教え−汝殺すなかれ−に従い、自己の信条と良心に基づいて、徴兵されても銃を返上し、宮城遙拝や軍務に従わなかった。獄中での過酷な仕打ちにも、神より与えられた試練として耐え抜く。女性もまた軍需物資の供出や軍事慰問品の供出を拒むことによって戦争非協力の意志を示していた。

しかし検挙後の虐待などによって転向者が相継ぐなかで、最後まで非転向を貫いたのは、東京では明石順三とほか4名(女性2名、朝鮮人2名)、地方では村本一生ら数名に過ぎなかったという。明石順三は公判廷でこれを“一億対五人”の闘いであるとして、非戦論を展開した。軍部・官憲はこのような人物の存在が明るみに出ることを隠し続けたに違いない。著者・稲垣氏は「このような個人を前にして恐怖したのは、一見巨大に見えた体制の側であった」と述べている。

どのような悲惨な状況下でも自己の信仰や信念を貫くことの崇高さに感嘆する。
  


(2006.05.20) (2017.03.18)  森本正昭 記