「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 026
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原 民喜 『夏の花』
戦争文学全集3、毎日新聞社
 1947年

 

集英社文庫

 

 

   

 

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核兵器によって、人間の意志で人類を大量に殺戮する。広島に原子爆弾が落ちた年をヒロシマ元年とする歴史的見方がある。その原点に被爆した人々の断末魔のうめき声がひびく。著者原民喜は被爆を体験したその時の情景を文学作品に残している。『夏の花』はその内の1篇であり貴重なものである。

米軍は日本側の被害が最大になるような原爆投下を行った。それまで広島市では空襲警報は出ても爆弾投下がほとんどなく、警報が発令されても、市民はさして重大なことと思わない情況が作られていた。原爆が投下された8月6日も前の晩に2回空襲警報が鳴ったが、何も起こらなかった。当日も早朝警報が鳴った後、解除されている。市民が気を許して外に出て来た頃に、原爆が投下されたという。エノラゲイの投下指定時間は8時15分、高度9600メートル。43秒後に地上約600メートルで爆発というように緻密な計算と飛行訓練が行われていた。  

「著者は厠にいたため一命を拾った。突然、頭上に一撃が加えられ、目の前に暗闇がすべり堕ちた。思わずうわあと喚き、頭に手をやって立ち上がる。嵐のようなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。眼が見えないので悶えていた。
 それはひどく厭な夢の中の出来事に似ていた。」

「はじめ自分の家だけ爆撃されたものと思い込んで、外に出てみると、何処も一様にやられているのに唖然とした。あれは警戒警報が解除になって間もなくのことであった。ピカッと光ったものがあり、マグネシュームを燃やすようなシューッという軽い音とともに一瞬さつと足もとが回転し、…それはまるで魔術のようであった、と妹は戦きながら語るのであった。」

「対岸の火事が勢いを増して来た。こちら側まで火照りが反射してくるので、満潮の川水に座布団を浸しては頭にかむる。

熱風が頭上を走り、黒煙が川の中ほどまで煽られて来る。その時、急に頭上の空が暗黒と化したかと思うと、沛然として大粒の雨が落ちて来た。暫くすると、またからりと晴れた天気にもどった。」

「苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと‘死んだ方がましさ’と吐き捨てるように呟やいた。」「水をくれ、水をくれと狂いまわる声があちこちできこえ」

家族の見つからない人たちは、あらゆるところを探し回った。「Nは一番に妻の勤めている女学校に行った。教室の焼跡には、生徒の骨があり、校長室の跡には校長らしい白骨があった。妻らしいものは遂に見出せなかった。自宅から女学校に通じる道に斃れている死体を一つ一つ抱き起こしては首実検するのだった。」

原民喜は被爆の日から「原爆被災時ノート」を書き続けた。『夏の花』はその年の冬に完成したのだけれど、占領軍の検閲で出版することはできなかった。

朝鮮戦争で劣勢に立ったアメリカはここでも原子爆弾を使う計画をほのめかす。このニュースが流れたとき、原民喜は衝撃を受け自殺してしまうのである。ヒロシマ7周忌の前であった。

 

 

(2006.11.05) (2017.03.16)  森本正昭 記