「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 039
                        Part1に戻る    Part2に戻る

井上武彦『同行二人−特殊潜航艇異聞』
ユーウ企画、1988

 

 

 

   

 

戻る

このタイトルから、読者は真珠湾攻撃のときの特殊潜航艇の話だと想像がつく。一人だけ軍神にならなかった艇の話だろうと察しがつく。原題は『死の武器』。

話を展開しているのは潜水艦に乗り組んでいる軍医である。特殊潜航艇および母船となる伊号潜水艦の乗組員の心理と言動を冒頭から出撃の直前まで巧みに描いている。読者は太平洋戦争の中でも最も謎に満ちたこの特殊潜航艇の物語に期待するかも知れないが、期待は裏切られる。その反面、乗組員の精神的世界に次第に引きずり込まれていく。

潜水艦は全行程の大半を海面下で行動するので、ほとんどは閉ざされた世界での話になる。感覚器でいうと聴覚が異常に敏感になり、音の変化によって自分の存在の意味と位置づけを感じさせられる。閉塞感に押しつぶされないように自身の感情を自制していく。だからここに書かれているほど饒舌に会話が展開するはずはないと思いながら読んでいく。

潜水艦は単独航行なので、連合艦隊との関連性は開戦の日時12月8日××時と司令本部からの電文以外にはない。敵もいない。戦闘場面も皆無である。作者は潜水艦に乗り込んで長距離の航海したことがないので、内面世界でしか想像を展開できなかったのだと思う。

乗組員は奇妙な精神風景として、暗色の方向と狂気の方向に分類される。軍医の私と機関長は暗色、機関長は熱心な仏教信者。航海長と水雷長は狂気の方向に分類される。艦長は神経が太いのか超然としている。そこに特殊潜航艇の搭乗員二人(坂田少尉と稲田二等兵曹)が乗り込んでくる。彼等は初々しさ、素直さ、素朴さ、といった清潔なムードにあふれている。暗色でも狂気でもない。沼地に一羽のツルが舞い降りたような感じである。

軍医の私はその内の一人・坂田少尉を植物的だと感じ、死に魅(ひ)かれた顔を認める。「それは心の暗部を最大限に拡大して、その中にすっぽり魂も肉もはめこんだようであった」とし、坂田がときおり見せる放心状態、とりわけ人と対話中の放心やその反対現象としての物事への異常な熱中ぶりに異常性を感じる。

話は次第に坂田と稲田の関係に関心を移していく。はてしない仏教論争も繰り広げている。やがて開戦通知無電「新高山のぼれ1208」が入電すると、艦長は乾杯の叫び声をあげ、「坂田は意味の分からぬ微笑をうかべたまま静かに盃をのみほした。」で終わっている。

この小説がまれにみる名作であることが、冒頭の瀬戸内寂聴の序文、あとがきで佐々木幸綱によって三島由紀夫から、この小説を絶賛する手紙がきたことが紹介されている。私は誤って本文より先にこれら推薦文を読んでしまった。そのためしばらく放置し、忘れた頃にもう一度読むことになった。   

 


(2006.08.22) (2017.03.21)  森本正昭 記