「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 094
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土井全二郎『栄光なにするものぞ』 朝日ソノラマ、1995
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副題に「海を墓場に…戦時船員の記録」とある。 全編が戦争継続を底辺で支えてきた輸送船(戦時徴用船)の悲劇の記録集となっている。いずれもドラマティックな物語で、それぞれがドキュメンタリー小説の素材になりうるほどのものである。船の雄姿と元船員の写真(『戦時船員の記録』)が掲載されている。関係者には涙なくしては読むことができない本であろうと思う。 日本の敗戦は兵站力の貧弱さにあったといわれる。先の戦争では太平洋の全域に兵力を展開せざるを得なかった。それを維持していくための兵と食料、資材、武器などの消耗品を目的地に届けねばならない。さらに日本国内での需要を満足するための資源を外地から確保搬送しなくてはならない。それがどんなにか難しくまた危険な課題であったかをこの本は物語っている。 海は危険に満ちていた。敵側の潜水艦からの魚雷攻撃、飛行機からの空襲に輸送船は無防備で対抗できなかった。 船員は危険な海に出ていくのも隠密行動をとらされた。軍隊と同じである。家族も憲兵や特高の絶え間ない監視を受けていた。 軍艦なら話題になるが、漁船が襲撃されてもニュースにもならない。 開戦の日(昭和16年12月8日)の太平洋上は、どこもかしこも、一触即発の緊張状態であった。2隻の漁船が敵機により滅多撃ちにされている。漁船は沈み、早くも10名の漁民が戦死したのだが、報道はされていない。 章立ては1 暗雲、2 開戦、3 敢闘、4 苦闘、5全滅、6 落日 となっており、開戦前夜から全滅までの輸送船、徴用船の歴史と運命が描かれている。 『敢闘』の中の「敵潜水艦撃沈」という章では、敵潜水艦を2隻も撃沈した松本丸という老朽船の話に胸すく思いがする。「戦火の中の交情」では船員一人の命を守るため、駆逐艦・秋雲を停止して盲腸炎の手術をした話が語られている。 貴重な重油を搬送するタンカー6隻にたいし、護衛艦はたった一隻で、これには海防艦・対馬があたった。日東汽船のタンカー・旭栄丸は潜水艦攻撃で沈没、洋上に脱出した乗組員に銃撃を加えようとする敵潜水艦に対して、護衛艦は戦略上、軍律違反にあたるかもしれないところ、これを救助した。 このあたりは日本側にまだわずかに余裕が認められる。しかし、貧弱な護衛では限界がある。日本側はしだいに全滅への道へと追い込まれていく。敵側の攻撃は潜水艦攻撃と飛行機による空襲によるものであるが、その物量に圧倒される。 それでも戦地におもむくには、船に乗って海路を行くしかない。船員も兵隊も死を覚悟して乗船する。陸路行軍の方がまだましだと思ったに違いない。 小国民であった少年の私は、敵の攻撃によって船が沈没する状況を想像した。私は泳げなかったので海で水泳の練習にはげんだものである。 海で果てた人たちの遺骨は永遠にかえることがない。
補給線をたたれ、兵站力がなくなると、軍隊は、戦力を失う。兵隊は飢えと戦う結末となっていった。 米軍側は標的に事欠いたのか、非武装の病院船にまで無差別に攻撃をしかけてきた。国際規定どおりに夜間照明により煙突や船腹に赤十字を照らしていた。これは「明らかに国際法違反であった。かりに日本軍が連合軍側の病院船を一隻でも撃沈していたら、戦後、どれほど責任を追及されたことだろうか」と書かれている。 『全滅』にいたる章は読むことすら重いが、最終章の『落日』には味方陸軍潜水艦に突っ込んだ伊豆丸の話や大剛丸のたった一人の生き残りの船員の話が書かれており、まるで冒険活劇のようでわずかに読者に救いを与えてくれている。
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