「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 058
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安仁屋 政昭 編著 『沖縄戦学習のために』
                平和文化  1997

 

現在の首里城の一角より見た風景。
日本軍はこの地下に壕を掘り、総司令部を置いた。

 

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近鉄の特急電車で旅行中、隣の席に座っていたのは,コギャル風の若い女性であった。車中でのお化粧など、私はあまり気にならないが、突然彼女は「どうしてそんな本読んでるのですか」と話しかけてきた。そんな本とはこの『沖縄戦学習…』である。彼女、米ニューヨーク州に留学中の日本の学生とわかる。沖縄、広島に行ったことがあり、戦争の話題となる。日本の若い人は戦争を知らなさすぎる、もっと知ろうとしなくてはならないと言った。沖縄から米軍基地をなくすことはできないのかとも言った

この本のタイトルは彼女の関心そのものであったようだ。

全部で64ページの薄い本である。1部は「沖縄戦について考える」、2部は「証言が示す沖縄戦の真実」からなっている。

「沖縄戦を「祖国防衛戦」としてとらえ、沖縄県民の犠牲を「殉国の美談」として描いているものが少なくない。犠牲の内実を検証すれば、美談は粉砕される。米軍の虐殺は言うに及ばず、日本軍による「集団自決」の強要、食料強奪、スパイ嫌疑による虐殺など、県民犠牲の無残な実態が美談のかげに隠されている。この実態をひとりでも多くの国民に知ってもらいたい」と冒頭に書かれている。

沖縄戦は1945年3月26日から始まった。米軍が上陸したのは慶良間諸島の渡嘉敷島、座間味島。さらに4月1日に沖縄本島に上陸。航空機による爆撃、海からの艦砲射撃は激烈を極めたという。これは鉄の暴風と呼ばれ、80日間に及んだという。この米軍の攻撃よりも日本軍による防衛召集、学徒動員、住民の虐殺、自決の強要など住民の生命・財産の安全に対する配慮は一切行われなかった。

「証言」の中で特筆すべきは、沖縄本島南部にある真栄平(まえひら)という部落で、米軍の猛攻を受けた日本軍が住民避難地域に入り込み、すさまじい住民虐殺が行われた。その中で、逃げまどう住民に特別の配慮をした日本兵の一団があったという。それは北海道出身の第24師団に属するアイヌ兵士であった。彼らは身を挺して住民をかばったという。戦後になって真栄平部落にはおびただしい白骨が散乱していたというが、村民とアイヌ人によって「南北の塔」という慰霊碑が建てられた。

この本の中で唯一心温まる記述がなされている場面である。

ところで現代の若者にどのようにすれば、戦争体験を伝えることができるのだろうか。それがこのサイトのテーマであるのだが、悲惨な体験をそのままリアルに語るだけでは伝わらないと思う。この本は題名のとおり、学習が目的だからこれでよいのだが、難しいテーマである。冒頭の話しかけてきた若い女性はなぜ戦争(特に沖縄戦)に関心を持つようになったのか、もっと詳しい話を聞いておけば良かったと思う。


(2007.08.02) (2017.03.29)  森本正昭 記