「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 057
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坂口安吾 『桜の森の満開の下』坂口安吾全集5、筑摩書房、1990 青空文庫 www.aozora.gr.jp
篠田正浩監督により映画化。 (朝日新聞より)
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「終戦の年の3月10日、東京は大空襲にみまわれる。その後、焼け残った桜が花を咲かせた。だが花見客は一人もいない。そのさまを坂口安吾は見ていた。風ばかりが吹き抜ける満開の桜の下は、冷気と静寂に支配されていた。安吾は、虚無の空間に魂が消え入っていくような不安に襲われる。」(朝日新聞、2006年4月6日、ニッポン人脈記より) 読者はこの文章を読み情景と安吾の心情を想像した上で、『桜の森の満開の下』を読み始めねばならない。怖ろしくグロテスクな物語の描写にうち震えるはずである。 冒頭に次のようなことが書かれている。桜の花の下に人が集まって陽気になり、酔っぱらったり、喧嘩をするなどということは江戸時代以降で、大昔は桜の花の下は怖ろしいものと思っても、絶景などとは誰も思わなかったそうである。 昔、鈴鹿峠で、花の季節には旅人はみな花の下で気が変になったという。そんな山に一人の山賊が住み着き、街道へ出て容赦なく旅人の衣装をはぎ取り人の命を奪った。女を捕まえてきては女房にした。こんなむごたらしい男でも桜の森の下へ来るとやっぱり怖ろしくなって気が変になった。 8人目の女は美しい女で、山賊はこのときから逆に女にほんろうされてしまうことになるのだった。とらえられ女房になった女たちは新しい女の命じるままに次々に殺されてしまうのだった。そのとき男は言いしれぬ不安に駆られる。その不安は何だろうと思うとそれは桜の花の下で感じる不安に似ているのであった。 女はたいへんなわがままもので、櫛、かんざし、紅、着物など贅沢の限りを尽くすのだが、やがてこんな山の中でなく都に住みたいといいだす。男は都の風がどんなものかを知らないまま都に住むことを決意するのだが、出かけるにあたって、満開の桜の花の下でじっと座っていてみたいと言うところがなかなか面白い。 都に住むと、今度は男にどの邸宅に忍び込めと言い、着物や宝石や装身具を持ち出させ、ついにはその家に住む人の首を持ってこさせるのだった。生首の数が多すぎるほど集まると、女は毎日首遊びを始めるのだった。もはや狂気の極みに達するのである。 男はこの生活にはキリがないから厭だと女の要求を拒否し、もう一度山に帰ろうとする。 男は女を背負って山道を登っていく。そのとき満開の桜の下を歩いていくと、背負っている女が鬼であることに気がつくのだ。男は全身の力を込めて女の首を絞め殺してしまうのだった。 これが桜の花びらが燦々と散る妖気あふれるクライマックスのシーンである。 という物語で、これは坂口安吾の傑作といわれている。グロテスクだが美しい物語で確かに面白い。冒頭にある東京大空襲の後、咲き誇った上野の桜からの連想であることは特筆すべきであろう。戦争とは関係ないと思っていると、実はこれが大量の殺戮をためらいもなく実行する戦争の狂態そのものであることにやがて気がつくというわけである。
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