「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 044
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阿川弘之 『雲の墓標』
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主人公の名前は吉野次郎。海軍予備学生として、大竹海兵団に入隊した昭和18年12月12日から遺書となる昭和20年7月9日までの日記として描かれている。私は著者阿川氏の実体験そのものとして読んでいったのだが、戦後に書かれたものであることを知ると、いささか記述そのものへの疑念が湧くことをどうしようもなかった。先に竹内浩三の軍隊日記を読んだせいもある。 おそらく戦争中は禁じられて書けなかったことを、記憶を思い起こして書き込んだのであろう。決して戦後の価値観の反転に同調する筆使いはない。そのため、読者に主人公の心情が転移し、読者は軍隊生活や特攻隊員の心情の中に引き込まれていく。私はなぜか軍隊日記に異常に惹かれる。 入隊後は急速に海軍の鋳型にはめられていく。配属は土浦海軍航空隊である。飛行科専修予備学生の命課式のあった日から、死に正対しなければならない意識が湧く。そして飛行訓練に明け暮れる。 どこの海軍部隊でも、海兵出身者と予備学生(大学を繰り上げ卒業させられて兵役に就いた者)との軋轢は強く、予備学生は階級という壁以上に反抗できない仕組みができていたようだ。そのため予備学生は軍紀の維持とか、後輩の補導のためでなく修正と称する殴打を繰り返される。ある時、兵学校出の偵察学生と予備学生との相撲大会があり、予備学生側には学生相撲の選手がそろっていたため、勝利を収める。その状況が胸のすく思いとして描かれている。 やがてガソリンの欠乏故に、飛行作業の訓練すらできず、再開の見込みがたたない事態に追い込まれている。アルコール燃料が代替燃料として使われるようになって再開する。 劣勢の中、特攻作戦が考え出され特攻隊が編成される。隊員たちは肉弾攻撃でもなんでもやる決心で、死ぬ覚悟はとっくに出来ている筈なのに、「これで俺も死ぬな」と思う。そう思うと急に身体中から何かをもぎ取って行かれるような、ガタンとしたものを感じたと書かれている。 特攻隊で敵艦に体当たりして死ぬときは、痛いだろうか、痛くないだろうかという議論やうまく回避する方法を思案したりする。しかし日本軍の劣勢、後退は昭和20年に入ると急速に進行し、もはや特攻作戦しか打つ手はなくなる。それも一機一艦の戦果を挙げたのは初期の頃だけで虚しい犠牲だけが累積されていく。この滅私奉公の精神が後の世にどのように描かれ、どのように評価されるのか特攻隊員たちは知らないままに、「上官ノ命ヲ朕ガ命ト心得」て出撃する。 主人公吉野もついに出撃、肉親や親友にあてた手紙が遺書として残される。「雲こそ吾が墓標/落暉よ碑銘をかざれ」とある。
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