「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 003
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平川祐弘 米国大統領への手紙 
          新潮社 
1996 年 

 



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これは硫黄島守備隊の海軍航空隊司令官、市丸利之助少将の小伝である。本土に近いこの小さな島を失うことは日本本土の制空権を完全に失うことを意味していた。それだけに日米両軍の熾烈を極めた戦闘が展開された。日本軍は全滅するのだが、米軍も太平洋戦争全体で最も死傷者率が高い戦闘であった。日本軍よりも死傷者数が多かったのは硫黄島だけなのである。

しかしこの小伝は戦闘にまつわる戦記ではない。海軍の航空司令官ではあるがもはや飛行機も2機しかなく、戦う手段を無くした最後に彼が行ったことは、米国大統領ルーズベルトへの手紙を書きそれを突撃隊長に託したことであった。その内容は戦争の経緯や米国の指導者を戒める文面でもあった。これは「ルーズベルトニ与フル書」として米国の戦史に記録されている。著者平川氏はこのことに感銘を受け、市丸利之助の人間像を追い求めたに違いない。市丸氏が短歌を詠む歌人であったことから、全文に多くの短歌が埋めこまれているので一層情感をそそられる。最後は次の短歌で結ばれている。

夢遠し身は故郷の村人に酒勧められ囲まれてあり

ところで市丸の書いた「ルーズベルトニ与フル書」を英文に訳したのは三上弘文兵曹である。彼はハワイ生まれの日系2世で日本軍に所属したが、アメリカ国籍を取ることもできたらしい。彼は硫黄島の地下洞窟の奥深く、ろうそくの光を頼りに難解な市丸の日本文の英訳に奮闘した。あたかもこの英訳のために生まれてきたかのように、この翻訳が完成した直後、地下壕の入り口で戦死してしまうのである。

 




 

(2006.09.15) (2017.03.07)  森本正昭 記