「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 004
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村上由美子 『百年の夢 岡本ファミリーのアメリカ』 新潮社 1989年
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著者はロサンゼルスの老人ホームで99歳の岡本品子と出会う。彼女は津田塾の第5回卒業生だった。それはほんの偶然としか言いようがないと著者は言う。 この小説は百年におよぶ家族史である。だから昭和史の範疇を越えているが、日米欧を股にかけ栄光と挫折を体験した家族史としては興味深いものである。栄光と挫折の背景には日系2世であることから戦争の影が絡んでいる。この家族、父は岡本米蔵。20世紀の初めに米蔵は日本からニューヨークへ、今でいう不動産ファンドにかける。「日本のカーネギー」「新帝国の創建者」と謳われ一世を風靡した米蔵。 母は品子。この小説の主人公である。戦争は長男・陽一をウィーンへと導き、次男・王堂は自分を探しに日本へ旅立った。その軌跡は、新天地を求めてそれぞれのロマンを追い続けた男達の歴史であったかもしれない。そんな彼等を見守るかのように、母・品子はいつも夫や息子たちに寄り添って生きてきた。 思えばこの家族は、国を越え、時を越え、激しく動き続けた。品子の心を支えたものは、かつての恩師・津田梅子の言った言葉だったろうか。 「英語を喋ることは何でもない。どこへ行っても日本人のスピリットを誇り高く持っていなさい」と。 日本人を両親に持ち、自分たちはアメリカ人としてしか生きられなかった日系二世。その中途半端で不安な存在に苦しんだ息子たち(陽気な陽一と陰の王堂)、ようやく二世というありのままの現実を「受け入れる」ことになる。太平洋戦争が始まると、危険な敵性外人として逮捕された日本人は5千人以上に及ぶ。陽一は真珠湾攻撃の翌々日、アメリカ陸軍に志願している。後にジョンソン大統領の影と呼ばれた写真家ヨーイチ・オカモト。王堂はルックの取材で、日本で急成長している宗教団体のことをとりあげたり、日本企業に就職したりしているが日本社会は安住の場ではなかった。 ところでこの小説には「日本人初の」「アメリカで初めての」と冠せられることがらが多い。父米蔵は大正初期、アメリカから凱旋帰国している。この人物の著書「牛」は日本中を震撼させたベストセラーだった。あまりにも登場が早すぎた米蔵に始まり、時代を先取りしていた家族の記録でもある
(2006.11.05) (2017.03.07) 森本正昭 記 |