「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 043
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岩瀬 彰 『「月給百円」サラリーマン』
講談社現代新書、2006

 

 

 

   

 

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副題に「戦前日本の「平和」な生活」とある。描かれているのは戦前日本の普通の人の生活感覚である。戦前社会というとその時代を知らない者にとっては、暗いイメージで塗り込められている。天皇機関説、柳条湖事件、不景気、エログロ・ナンセンス、特別高等警察、軍国主義などを思いつく。しかし一般大衆にとってはいまと同様、生活に追われた毎日であり、愛国よりも月給、思想よりも就職に関心が向いていた。

戦後世代の日本人にとって、「戦前の日本」とは二度と行けない外国のようなものだと著者岩瀬氏はいう。それで庶民の生活感覚をお金の面から明らかにしようと試みている。統計資料よりも、過去のいろんな雑誌記事を細かく読み込んでデータを拾うといった方法なので面白さに満ちている。

物の値段を現在と比較する一応の基準であるが、現在の物価は当時の約2000倍で当てはまる物が多い。2004年の東京都区部物価指数が戦前基準(昭和9〜11年平均)の1800倍、食料や被服は2000倍前後であるという。もりそばやコーヒー1杯は10銭、現在200円くらいとなる。しかし、月給と教育費は5000倍くらいという。月給百円とは50万円となる。

庶民の生活はいたって単純で、家は借家だから住宅ローンはない。中等教育以上を受けるのは限られた世帯なので、教育費は少ない。今日の家電製品といった物は家の中にはない。薪や石炭で炊事をし風呂を沸かしていた。車の維持費や(携帯)電話もなかった。

岩瀬氏は百円をサラリーマンの基準に置いている。それはなかなか得難い金額であったという。そもそもサラリーマンがエリートであった時代である。現代のように誰も彼もサラリーマンで、現代の奴隷階級と思うくらいの実態とはかけ離れていることを知らなくてはならない。

このサイトの目的は「庶民からみた戦争」をテーマにしているので、特に軍人について書かれている見出し(貧乏サラリーマンとしての軍人)に注目した。人々は軍人に対しては敬意を払い、彼らは高い誇りを持っていたようであるが、将校も月給をもらう普通のサラリーマンであった。そして「貧乏少尉、やり繰り中尉、やっとこ大尉」という言い方があったという。大卒の初任給が70円前後の時代に20代後半から30歳くらいの軍人(中尉)で85円という事例を挙げている。裏長屋に住む将校などが書かれていて当時の軍人の尊大ぶりを少しでも知っている者にとってはがっかりする。

私(筆者)の父は軍人であった。それでいま当時の古い写真を見てみると、どうも著者岩瀬氏の記述は違っているのではないかと思える。母に聞いても軍人の生活は大変豊かであったという。何が違うのか。それは岩瀬氏は本俸だけを指摘しているからではないか。私の父は陸軍の航空兵であった。飛行機に何時間乗ったかという飛行時間が危険加俸として加算されていた。海軍の航空隊だとさらに加算率が高かったそうである。さらに戦時に突入すると戦時加算がありこの両方で本給の倍を貰っていたらしい。しかし当時の飛行機は危険度が高いのか、事故による火傷を負い、やがて熾烈な戦場に出て行くのである。もはや給料では換算できない世界に飛び込んで行かざるを得なかったのである。


(2006.11.30.) (2017.03.18)  森本正昭 記