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西村壽郎
随想 「小説が大説になるとき」 
   
三重県度会町 在住


「無法松の一生」は岩下俊作が「改造」の懸賞小説に応募し、佳作となった小説である。元の題名は富島松五郎伝』である。物語は小倉を舞台として、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称、無法松)と陸軍大尉吉岡の遺族との交流を描いた好作品である。2回にわたって直木賞候補になるが受賞を逃している。

「無法松の一生」が何故あれだけ大衆に受けたのだろうか。

男は満20歳になれば国法に従い徴兵検査を受けなければならない。その兵隊に取られて軍隊に行けば威張り散らす古参兵が居る。上官が居る、巷にはサーベルを提げて民衆を威嚇して治安を維持しようとしている警察が居る。

これらすべての権力の氾濫に対して立ち向かう無法松の生き方に民衆がスカッとした憂さ晴らしをしたのであろう。一方で無法松は人間としての弱さをさらけ出している。軍人の未亡人への恋、これがコントラストを織り成して何とも言えない時代的な味を作りだしている。

小説はときに大説に大化けするときがある。その過程では、かならず保守派からの激しい反発や抵抗を受けるものである。民衆に不満のエネルギーが充満しているときでもある。

無法松の場合、人力車夫を主人公に据えた物語への無理解や時代的な人間性を歪曲した生き方によるものであると思う。 軍人たちの間には、軍人の未亡人を馬鹿にしとると言う声が大きかったという。映画化はこれまでに4回にも及んでいるが、戦前には内務省の、戦後にはGHQの検閲で作品の一部をカットされている。

  もう一つ、別な話題を取り上げてみる。1850年代、アメリカのストウ夫人は小説「アンクル・トムの小屋」を書いたのだが、当時のアメリカは奴隷解放問題で南北が分裂する危機状態にあった。この小説は初老の黒人奴隷トムの数奇で不幸な半生を巧みに描いたものである。時代的社会的に大変大きな反響を呼び、奴隷解放への世論を喚起するに充分であった。また一方で奴隷制を擁護する立場の人々からは激しい批判を浴びることになった。

アメリカの大統領リンカーンが南北戦争を戦い抜いて勝利を勝ち取り奴隷解放に成功した後、初めてストウ夫人に会った。そのときに、「貴女ですね、あなたのような小さい方が奴隷解放運動に火をつけたのですね」と言ったそうである。
小説「アンクル・トムの小屋」にはそれだけの力があり大説になったのである。

他にもいろいろな事例があると思うが、中国の魯迅の場合、諸外国に支配され疲弊しきっていた中国を、小説を書くことで国民を目覚めさせることをやってのけている。

最近ではマララ・ユスフザイさんを挙げることができる。彼女の活動は11歳の時にタリバン支配下にあり、恐怖政治に怯えるパキスタンの人々の惨状をBBC放送に投稿したことに始まる。タリバンによる女子校の破壊を批判、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続けてきた。反感を持ったタリバンによる銃弾に倒れるも回復し、17歳でノーベル平和賞を受賞する。授賞式における堂々たる演説は聴く者に深い感動を与えた。

マララさんの場合、小説を書いたのではないが、まさに大説を書き上げた以上の活躍である。

現在の日本、政治的にも社会的にも、大説が出現する状況が高まっている。


我も小説から大説をと夢見ている。それで石川啄木の短歌に倣って一首。

    ろうそくの燃え尽きる如く輝きてこの一生を終える術なきか

  (高きより飛びおりるごとき心もて/
この一生を終わるすべなきか 啄木)


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