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村上トシ子
      埼玉県
       随筆『あと一勝の壁』

歌人
短歌結社 「短歌人」(東京)        の会員

歌集「揺籠」、「ロゴス」を出版

7月の中旬のある日の午後3時ごろのこと、暑さに辟易していた私は何もする気がおこらず昼寝を決め込んでうとうとしていた。がその時けたたましく電話がなった。そう高いベルの音でもないのだが、心地よい眠りを妨害されたことに不機嫌きわまりなく、ひときわ高く感じられた。大体この時間帯にかかってくる電話の80%は保険の見直しの電話、太陽光発電、投資信託等の勧誘である。この時もそのどれかであろうと思ったが、もしやほかの電話かとも思い眠い目をこすりこすり受話器を取った。

「はい、村上ですが」と返事する。すると

「トシ子さん文子です」と興奮気味の声。

「あれぶんちゃん(ふみこなのだが高校時代からの愛称のままでずーっとこう呼んできた)久しぶりだね。どうしているのかなーと私も気にしてたのよ」と答えたが、そろそろ私も電話しようかなーと思っていたところだったので、うれしかった。ぶん子とは、クラスで三年間一緒、部活も文芸部に籍を置いた仲である。余談だが、この文芸部に漫画家石ノ森章太郎がおり一年間ともに活動したことはいつかエッセイで紹介したことがある。

「トシ子さん、佐沼高校(母校)が野球で準々決勝まで進み、いまその試合をテレビでみているの、盛り上がっていてすごい応援よ、バスを何台も連ねて行ったらしい。後輩が歌う校歌を聞いて今じーんとして涙が出たわ」と言う。

「えっ!そうなの、それはすごいすごい」と言いつつ驚きを隠せない。暑さと眠気はたちどころに吹っ飛んでしまい、わくわくどきどきの連続。

「それで今どうなっているの?」

「今同点よ。わからない、じゃあとでね。テレビ見るから」とぶん子はそそくさと電話を切った。そしてその母校が勝って準決勝にすすんだことを私はインターネットで確認したのである。

 宮城の北東に位置する登米市佐沼高校が私の母校だが、ラグビーは昔全国大会に出場したことがままあったが、野球はそう強くなく、準々決勝出場は25年ぶりと言う。高校のある登米市は隣の南三陸町ほどの被害とはくらぶべくもないが、2011年、3.11の東日本大震災で全国的に知れわたった。内陸なので津波の被害こそなかったが高校のある登米市佐沼の街の家屋は倒壊がすごかったと聞いた。ここまで勝ち進んだのは、昨年の楽天優勝についでひょっとしたら天が励ましのエールを送り続けたためかも知れないなどと思ったりもした。

 少し横道にそれるが、ぶん子がテレビで後輩の応援団が歌う校歌に涙ぐんだ母校の校歌は国学院大学卒、国文学者、民俗学者、かつ歌人でもある著名な釈迢空(別名折口信夫)の作詞である。どうしてこのような著名な人がと思ったものだったが、母校の国語教師が自身も国学院大学出身の歌人で釈迢空の弟子と知り納得した。

  ひんがしによき国ありて

   北上の遠山を朝空に垣とせり

  心すぐなるよき人の

  常に和みて住むところ

   我ら清しく行き交いて

   若き礼譲里に充つ  
  
  いさぎよし我が佐沼

  ああ佐沼高等学校 

が一番の歌詞である。さすが著名な、釈迢空の作詞とあって格調高く叙情に満ちていると今にして思う。そしてこの校歌、60年近くも前に歌ったのだが今もきちんと覚えている。若い時に覚えたのは終生忘れられないとはよく言ったものである。ぶん子の電話のあと、母校の勝利を祈りつつ、誰もいない厨房でひそかに校歌を口ずさんだ私であったが、ぶん子と同様えも知れぬ感動に涙があふれそうになった。ちなみに校歌は三番まであるが、全部紹介できないのは残念である。

 その母校であるが、勝ち進みなんと思いもよらず決勝戦まで進んだのである。こうなったら欲がでてくるのは人情と言うもの、はやばやと甲子園出場と決め込んでぶん子と申し合わせをする。

「甲子園へ行こう、行って校歌を力いっぱいうたって応援しようね」に

「甲子園に行き方分からない」とぶん子

「仙台から新幹線で東京駅までくればいいわ。そこで私は待っているから。あとの行き方は隣に甲子園の近くに住んでいた関西出身の友人がいるから聞いておくからね」と約束し二人とも行く気まんまん心ははや甲子園へ。

 だが、その三日後夢は残念にも打ち砕かれた。3対4で母校惜敗である。次女からは「佐沼高校残念ね」のメールが届き、野球好きな長女の婿の「お母さん残念がっているだろうね」の談話も長女を通じて聞いた。そしてぶん子と私は決勝戦以来連絡をとっていない。

 しかしこの野球の試合がもとで久しぶりにぶん子のなつかしい声を聞くこととなりかつ素晴らしい校歌をも再認識することとなった。これを善しとしよう。そしてここまで来た母校の後輩の球児たちに「夢を見させてくれて有難う、よくがんばった」と埼玉の地より心からお礼を申し上げよう。

 のち、ついでの電話で長女はいみじくも言ってくれたものである。

「お母さん、甲子園へ行かずにすんでよかったね。『老婆甲子園で母校応援中熱中症で死亡なんて記事にならずにね』」とは、子ならではのきわどい慰め方だが、一応は慰められている。それにしてもあと一勝の壁のなんと高いことよ。






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