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森本正昭  東京都練馬区
       ミニ小説 『ぬいぐるみのポケット』
                         2016.02.29
前作『戻ってきたぬいぐるみ』
の改良版です。

男45歳、都会に出て来てからはや二十年を経過していた。未婚である。仕事は忙しいばかりで喜びを感じるような体験は少なかった。転職していく同僚が多い中で、自分は今の仕事を続けてきた。この職場は男性の比率が著しく高かったので、女性とは仕事の上ですら話をする機会は少なかった。いつの間にか年齢だけが高くなっていた。

 男のアパートに女性が出入りしたことはこれまで一度もなかった。ところがある年の年の瀬の夜、知らない女がやってきたのだった。しかも泊まっていったのだ。嘘みたいな話だけれど本当の話である。酒場で隣の席にたまたま座ったというだけなのに、女は「今夜は家に帰りたくないから、もう一軒つき合って」と言った。男もつき合っても悪くないという気分になっていた。声が澄み切ったように、きれいなことが場違いな印象を与えていた。女は陽気に振舞っていたけれど寂しそうな感じが表情に滲み出ていた。そこで男のアパートに近い、たまに一人で飲みに行く飲み屋に行くことにした。その挙句、男のアパートについてくることになった。冷蔵庫の飲料水を口にした後、眠そうにしたので男は布団を敷いてここで寝なさいと言った。

 翌朝男は仕事に行かねばならなかったので早くアパートを出た。鍵は入り口に置いてある観葉植物の鉢の下に置いて欲しいとメモして出かけることにした。

帰宅してみると女は一宿一飯のお礼ということか、部屋が見違えるようにきれいに片付けてあった。男が大事にしていたぬいぐるみも、汚かったせいか片付けられてしまったらしい。見当たらないのだ。その他にはなぜか下着が何枚かなくなっていた。メモとして「近い内にまた来ます。汚れた衣類は洗濯してきます」と置手紙が書かれてあった。

しかし、一週間待っても一ヶ月待っても女は現れなかった。二度と現れないこともありと覚悟はした。名前はヨウコと言っていたが、連絡先は聞いていなかなかった。

その間、女は泥沼のような離婚交渉の悲劇を体験していたのだった。それに親の死別も重なったのである。精神的に追い込まれていてどうしても時間が取れなかった。それでも女は男の部屋から持ち出した衣類やぬいぐるみを洗濯して返しに行くつもりでいた。せめて連絡手段があれば、お互いに安心できたのだったが連絡方法がなかった。ごめん!もう少し待って。と心のなかで言い続けていた。

親のお墓参りに行くとき、女は男に返すための包みを持って行ったけれど、手違いでそれをお墓に忘れてきた。きれいに洗ったぬいぐるみとそれとは別に新しく買い求めたぬいぐるみもそこに入っていた。それに気がついたとき、急いでお墓に戻った。しかし雨のせいで熊さんは二匹ともずぶ濡れになっていた。泣いているようにさえ見えた。

男がぬいぐるみを大切にしていたのには理由があった。実はぬいぐるみのお腹のところに、小さなポケットが付いていて、そこに母の形見のダイヤの指輪が入れてあったからである。それを女が盗って行ったのか、想像の範囲にあったが、どうしてもそうは思いたくなかった。男はあくまでも純情で世間知らずであった。女がもう一度来てくれると思っていたので、アパートの鍵はいつもドアの外の観葉植物の鉢の下に置いたままだった。そしてある日、女は遂にやって来たのである。二匹のぬいぐるみと一緒に。

 入り口に置いてある観葉植物はその頃、小さい白い花をいっぱい付けていた。

 

上の作文、随分カッコつけてますよね。女の側から見ると、違ったものになります。

私は離婚訴訟の問題に苦しんでいました。耐え難い苦痛だった。家裁の調停が一段落したとき、私は息抜きのために、以前に楽しむことが出来た飲み屋さんに一人で入ってみました。食事をして帰ろうと思っていたとき、空いている隣の席に男の人が座ったのね。それが男45歳だった。

この店に慣れていないのか彼は注文をはじめ動作に落ち着きがなかった。私がおでんを注文しているとき、彼は僕も同じのを言ったのです。友人でもないのにさ。それに私の方をチラチラ見ようとするし。私が落としたものを拾ってくれたりした。まあいいかと思って、この店よく来るんですかと声をかけてみた。何も期待するものは無かったが、お話は意外に面白かった。飲み過ぎたのかもしれない。

それからダイヤの指輪が熊のぬいぐるみのポケットに入っていて、それを私が盗っていったと思われてるようですが、それは違います。私は指輪が入っていることに気がついていたけれど、ガラスの模造品だと即断していたので、盗るも何も急いで返しに行くほどのものとは思っていなかったのです。だって価値のあるものなら、ぬいぐるみのポケットに仕舞いますかね。随分汚れた熊さんだったのよ。私は洗って綺麗にしてあげようと思っただけ。

Aと結婚したきっかけは縁者の紹介だった。Aは積極的で強引なタイプだった。男らしい人なのかと当初は思ったけれど我慢できなくなった。嫌だったのは私が何かを話し始めると、Aは自慢話を被せてきた。私の話は何も聞いてくれないのだった。私は次第に寡黙に陥っていった。男性を見る目がまるで欠けていたことに気付かされたのね。

男45歳はAとはまるで違うタイプで親しい友人を感じさせた。今のところそれだけね。少し期待はあるかな。




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