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   水田まり     短編小説 『獅子舞』
               
   志摩市     2015.01.16 01.22改訂
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     『獅子舞』                   水田まり   

 アセチレンガスが臭い、スルメを焼く匂いが立ち込める屋台を両側に見て寺の境内に入ると、すでに太い薪を重ねた焚火の周りには、見物人が円を作り始めている。振袖を着た子供たちもあちこちに見える。

 旧正月の神事の行事の獅子舞が始まるのであった。私の住む集落は新正月も祝うが、昔からの行事や餅つきは旧正月に行われる。旧正月は新暦の立春も過ぎて目前に控えた春を心待ちにする時期でもある。新春、迎春など新しい歳を迎える言葉ではあるが、新暦では早すぎる。旧暦での新春、迎春はちゃんと暦の上で収まるのである。

 学校の冬休みは新暦の正月に合わせてあるので、旧正月の行事には休みはないが、私の住む集落の地域によっては半ドンになっていた。

 小学生のころは、獅子舞の神事には振袖を着せてもらうのが、楽しみであった。母が箪笥を開けて畳紙を開ける手元をじっと見つめる。今年はどんな柄の着物を着せてもらえるのか、心が躍る瞬間であった。紫の生地に色とりどりの手毬が弾む振袖は何歳の頃着たのであったろうか。

この手毬の柄の振袖は三歳年上の姉が、亡くなる前年の獅子舞に着た振袖であった。四人姉妹の三女であった姉は骨肉腫で七歳の短い生涯を終えた。私は四女の末娘であったため、振袖はいつも姉たちの御下がりであった。

 獅子舞のある寺は畑道を二十分ほど歩くので、寒いからといって母はいつも羽織を着せてくれた。羽織の場合は帯は絹の絞りの帯で長いので三重ほど体にぐるぐる巻いて後ろに蝶結びで締める。獅子舞の楽しみはそこまでで、幟が上がる寺の大屋根が見えてくると、気分が重くなってくる。太鼓の音を聞きながら入る境内の焚火の熱気が頬に伝わって来て初めて獅子舞の頭が浮び、廻れ右をして家へ駆け戻りたくなる。理由はお獅子が怖かったのである。

 お獅子は焚火の周りを舞う。お獅子の口の周りは焚火の火を銜えて舞うので、いつも煤で真っ黒であった。その口がぐわっと開くと、頭から食べられるような気がして、思わず頭を押さえてしまう。またお獅子の目はいつも自分を睨んでいるようで、おもわず姉や父の後ろに隠れてしまう。お獅子と目が合わないように逃げ回るので父だと思ってしがみついた人が知らない人で大泣きをした記憶もある。

そのお獅子を恐ろしく思えたことが笑い話になる年頃に、我が家に獅子舞の当番が回ってきた。数十年に一度
その当番は回ってくる。兄や姉たちが結婚して家庭を持ち、家を出てからは、大家族で会った我が家は、私が
十四歳のとき母が亡くなり、父と弟と私の三人家族になってしまっていた。

獅子舞は神事の行事の一つである。当番に当たった家の男は、前日に夫婦岩で有名な二見ヶ浦の海に入り、当日はまだ日の上がらない早朝、近くを流れる宮川で身を浄めるしきたりが私の住む集落では延々と続いている。前の当番のときは、父が出ていたが、六十を半ばになった今、周囲を見回しても、そんな高齢で参加する男はいない。家族三人が話し合った結果、高校二年生の弟が参加することになった。

弟が「僕でよかったら、出るよ」と言ったとき、私の頭のなかに、人一人いない二見の海が、寒風の吹きさらす宮川の河原が浮んだ。小学校六年生で母親を亡くし、三人の姉たちに可愛がられて大きくなった弟である。私たち三姉妹が振袖を着ると、決まって着せてほしいとせがんだ弟であった。二重の大きな瞳の弟はよく女の子に間違えられた。坊ちゃん刈りの頭に大きなリボンをつけると、弟は女の子になった。そんな弟が獅子舞の当番を引き受ける。あの冷たい海や川に入らなければいけないことを百も承知で父の代わりを務めるのだ。神事に参加する男性は、家を継いでいるか、継ぐことになっている長男である。年齢は三十歳前後が多い。

 私は当日年齢の離れた男達に混じって幼さが残りながらも白装束に身を整えた凛々しい弟の姿を見て目頭が潤んだ。そしてなんともはや弟が愛おしく思えたのである。

 

獅子舞や伊勢に古りたる本街道                手毬