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 水田 まり         志摩市
       短編小説  『岩坂のおばさん』
        
                  2014.11.01

 

  『岩坂のおばさん』                       
                                   水田まり

  うららかな春の午後であった。通学路の両側には菜の花が咲き乱れ、田圃は蓮華の花でピンク色に染まっていた。そんな穏やかな昼下がりだというのに、小学校五年生の咲子の心は憂鬱であった。あと百メートルも歩けば村の入り口を流れる幅二メートルあるかなしかの小川に出る。いつも学校からの帰り道は友人とワイワイガヤガヤ言いながら歩いて来るのであったが、運悪く今日は咲子一人だ。川に架かる橋の真ん中までやって来て真っ直ぐに続く村の一本道に目を凝らした。

「いる、いる、やっぱりいるわ。岩坂のおばさん」咲子の足は橋の途中で釘付けになってしまった。

道路に沿って両側に民家が軒を連ねる集落である。伊勢本街道と呼ばれるこの道は、その昔大阪から奈良の榛原経由で伊勢神宮を目指して人々が歩いた参拝道である。昔は商店が軒を連ねて賑わっていたが、参拝の人々の流れが途絶えてからは、そのころの商いの屋号が残っているだけで、商家は見当たらない。その街道筋の丁度真ん中あたりの一軒の前で、後ろ手をして絣の野良着に日本手拭いを姉様被りに被った老婆が立っている。咲子は溜息を着いた。

岩坂のおばさんは咲子の父の伯母さんである。その伯母さんは二十八歳で夫を亡くして女手ひとつで息子二人を育て上げた。口論でも村の男どもには負けなかったし、年老いても村の人達に決してお婆さんと呼ばせなかった女傑である。女傑であったが、日本離れした堀の深い顔立ちで二重の大きな瞳の黒目は澄んでいて男と口論をするときも、その黒目で睨まれると、男どもはたじたじしてしまう。若くして未亡人になったため、再婚の話は山ほどあったそうである。甥であった咲子の父は伯母さんが一人身を守って老いていくのがまことに残念である。とよく家で母に話しているのを聞いた。
 そんな話を聞きながら、おばさんは子供の目から見ても美人であったが、結婚しないほうが、いいといつも思っていた。あの大きな目で睨まれ、弁の立つ話しぶりで叱られる旦那さんは気の毒に思ったからである。一度伯母さんにほれ込んで日参した男があった。その男は誰にも仲に入ってもらわず、一人でどうどうと伯母さんに結婚を申し込みに行った。玄関から声を掛けても返事がないので縁側に廻ってみたら、伯母さんは仏壇の前でお経を上げていた。鴨居を見ると、伯母さんの亡くなった旦那さんの写真が男を見ていた。男は伯母さんの背中に声をかけた。

「こんにちは。邦子さん」

 二回ほど呼んだが返事がない。三回目には大声を出した。すると、ふいにおばさんは後ろを振り向いて大きな黒目がぎょろりその男を睨んだ。丁度晩秋の夕暮れで仏間は暗く、部屋に長く伸びた陽の光を受けて伯母さんの顔はまるで般若のようであったそうである。その男は、おばさんがくわっと口を開けて襲ってきそうに思えてあわてて逃げ帰ったそうである。

 それからというもの、再婚話はふっつり消えた。

 咲子は両親がその話をしているのを聞いてから、余計におばさんが恐ろしくなった。睨まれるだけなら良いが、弁の立つ口で食べられてしまうのではないかと思う。おばさんの孫娘保子は一級下の遊び仲間であった。お婆さんに溺愛されて育ったためか泣き虫であった。保子が泣くと、おばさんはいつでもどこからか姿を現して泣かした子を理由も聞かずに叱った。またその場で叱らなければ、必ずどこかで捕まえて叱らなければ気が済まないらしい。鬼のような形相で怒るおばさんを子供の間ではいつしか怖い存在として見られるようになっていた。

 あの日は学校から帰るといつもの空き地でかくれんぼをして遊んだ。じゃんけんで保子が鬼になった。同級生や下級生を含めて6人であったと咲子は記憶している。保子は何でもお婆さんにやってもらっているので、することが遅いし要領も悪い。「年寄りに育てられた子は三文安い、邦子伯母も気をつけやな」と父が母に言っているのを咲子は何度か聞いた。三文安い、と言う意味は漠然としか分からなかったが、保子を見るにつけ、咲子にはおぼろげながら分かってきた。四姉妹の末っ子の咲子は妹が欲しかった。家も近くで親戚の保子は咲子にとって妹のような存在だったのである。

保子が鬼になったとき、咲子の心の中で「探せるかなあ」と一抹の不安がわいた。ドッチボールをしても缶けりをしても、逃げるのが遅い保子は一番にドッチボールが背中に当たるし、缶けりでは一番に見つかってしまう。その日もなかなか鬼の保子は探しに来ない。隠れていた子供達は待ちくたびれて家へ帰ってしまったのである。咲子もしびれを切らして、姿を現した。鬼の保子はしょんぼりと巨木の欅の下に立っているではないか。咲子の姿を見つけた保子は泣き出した。その泣き顔を目にした咲子は、腹ただしさに怒りの声を上げた。

「やっちゃん、鬼やろ、なにしてるんよ」

 言いながら伯母さんの顔が浮かんだ。恐ろしいと思う前に、おばさんの保子に対する過保護に無性に腹が立ってきた。お婆さん子は三文安い。またもや、この言葉が頭に浮かんできた。

「やっちゃんが、探しに来かんから、みな帰ってしもたやないの、あんたが鬼になるとおもしろないわ、もう四年生やろ、しっかりせないかんよ」

 咲子は、妹を叱るようにぴしゃりと言った。保子は聞きながら、先ほどよりしくしく泣きだした。

「泣いてばっかり、おらんとき、ほな、さいなら」

 咲子は泣き止まない保子にさらに腹が立って来て、走って家へ帰って来てしまった。家へ帰ったものの、やはり保子のことが気になってもう一度空地へ取って返した。やはり保子はいなかった。欅の巨木が何事も無かったように夕闇の迫った空にそびえている。その欅を仰いでいたら、ふいにおばさんの顔が浮かんできた。咲子は保子を叱ったときの元気は消え失せて、おばさんの恐ろしい顔が頭を占めてきた。それでも一晩寝たらすっかりそのことは、頭の中から消えていた。それが春うららかな通学路を歩いて来て突然に思い出したのであった。伯母さんは孫娘を泣かした子供を叱るときは、通学路になる家の前で学校の終わる時間を見計らって立っているのである。保子は先日のかくれんぼの話をしたのであろう。親戚である咲子が、孫娘保子を庇うどころか叱り飛ばしたのである。

 咲子は橋の真ん中で引き返すことも出来ず、前に進むことも出来ずに立ち尽くしていた。土手に咲くたんぽぽの黄色も蓮華のピンクもそのとき、咲子の目には入っていなかった。

 

 先日父からの電話で、岩坂のおばさんが亡くなったことを知った。百歳を目の前にした九十八歳の天寿であった。葬儀の日は大嵐で参列者は困ったそうである。伯母さんの生涯は男に負けたらいかん。その思いがいっぱいで、心の中に、いつも嵐を吹かせてその嵐に打ち勝って生きてきたのかもしれない。そんな思いに駆られながら、父の話を聞いた。

電話を切ったあと、春爛漫の橋の上の困り果てた小学生の私を懐かしく思い出していた。

                               終わり


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