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桂 一雄   随筆『卒論の顛末』 
           
          2017.06.06登録
高校教師 


 卒業論文を書かずに、弟は大学を卒業するらしい。その話を初めて聞いたときは驚きとともに、羨望を覚えた。その理由は自分の卒業論文には苦い思い出があるからだ。

 当時文学部の学生であったが、それまで原稿用紙三〇枚以上といったまとまりのある書き物をしたことがなかった。作文をした経験といえば、高校入試の時に、僅か原稿用紙五枚分の小論文で環境問題について書いたのみである。絶対的に経験が不足している。そのような私であるから、卒論執筆は難航を極めた。


一般的に卒業論文の作業はテーマの選択、資料の収集、文献の読み込みの順に進んでいく。それらが終わり次第、実際の執筆となる。

どんくさい私には最初の作業である、テーマの決定で早くもまごついた。決まらないのである。高校入試の小論文は出題者によってテーマが決められている。だが、卒業論文ではテーマを自分で設定しなくてはならない。問題点を自分で見つけ、それに沿ったテーマを設定することが求められるのである。しかも、見つけた問題点を自分で解決しなければならない。出題者も回答者も自分自身なのである。しかし、自分で決めるとは言いながら、指導の教授に相談に行き、そのうえでテーマというものは決まっていく。教授の印鑑が必要なのだ。


私は相談にすら行かなかった。そして、何も決めないまま、酒ばかり飲んでいた。その間、同級生たちはテーマを決め、作品を読み込み、参考文献を探し始めた。きっと教授もさじを投げていたと思う。これは無理もないことである。私は不真面目な学生としてゼミでは有名だった。大学に小さな池があったが、そこに鯉が棲みついていた。三年生の時に、その鯉を釣り上げようとしたことがある。池の前に腰掛け、釣り糸を垂らしてアタリを待っていたら、学生部長が飛んできて、大目玉をくらった。

 このような奇行、蛮行で目をつけられていた私であるから、教授も持て余し気味だったことは否めない。教授が私に行った指導と言えば、たった一言、「締切までに原稿用紙のマス目を埋めろ」、これだけだった。この言葉は一人でテーマを決めた後、書類に押印してもらうため、事後報告へいった時に言われたと記憶している。

 結局、他人より一ヶ月遅れてテーマを設定した。その後、資料を収集し、文献の読み込みを済ませて、実際の執筆へと取り掛かったのであるが、ここで再び問題が生じた。自分の書く文章が箆棒なのである。主語と述語がねじれる。「である」という文末が連続して出てくる。自分の文章力のなさに涙が出そうになった。書いては直し、書いては直しの繰り返し。提出ギリギリまで文章を書き換えた。

こうしてヒイヒイ言いながらも教授の指導を守り、期日までに何とか書き上げ、提出した。だが、卒業論文は提出してそれで終わりではない。口頭での査問が行われるのだ。それは提出してから一ヶ月後に行われる。卒業論文を提出したからといって卒業式まで遊んで暮らすことなど到底できないのである。

提出してから一ヶ月の間、査問で聞かれるのはあれではないか、これではないか、と思案に暮れた。そしてついに当日の朝を迎えた。その日はドキマギしながら会場の教室へと向かったのを覚えている。

だが、実際の査問は何とも拍子抜けであった。緊張しながらの入室もつかの間、たったの五分で終了したのである。聞かれたことは論文中に新規の部分があるのかどうか、という一点のみであった。

 査問の終了後は安堵よりも、不安の方が大きかったのを記憶している。わずか五分で終了したのは、はたして、どういう意味であるのか。

その後、卒業式まで暇になったので、アルバイトに勤しんでいると、大学から封書が届いた。開けてみると、学科主任からである。そこには卒論が優秀であったので報奨金を与え、表彰する旨が記されていた。続けて、大学の学報に掲載するので、書き直して再度提出するようにとある。

 その手紙を読んで、飛び上がらんばかりに喜んだのは母であった。学業優秀とは言い難い私が物を書いて表彰されるなど、母にとっては、前代未聞のことであったようだ。その一方で、私自身は報奨金で本でも買おうなどと漠然と考えていた。

 そして、卒業式当日、学位記を頂いた後、私は名前を呼ばれ、朋友たちの前で、表彰された。嬉しいというよりも照れくさい。賞とは無縁の人生であったからどういう顔をしたらいいのかわからず、うつむき加減に賞状と報奨金を受け取った。

 以上のように、表彰された所で話がおわれば、これは単なる良い話で終わるのだが、残念ながらこの話には続きがある。

 学科主任からの便りには、表彰と報奨金の他にもう一つ書いてあったことがある。それは、卒業論文を学報に掲載する件である。期限は半年以内となっている。これには困った。

 卒業式の翌日から再度提出するために書き直すことをはじめたのであるが、いかんせんモチベーションが上がらない。書き直すために、卒業論文を読み直していてもついつい報奨金の使い道を考えてしまう。挙句の果てには、報奨金で酒を呑む始末である。

 書き直すことが出来ずにいるうちに時間だけがズルズルと過ぎ、三ヶ月がたったある日、原稿の進み具合を確認する連絡があった。私はまだできていない旨を伝えた。その後も期限の一ヶ月前に再び連絡があった。この時もまだ完成していないことを伝えた。そして、期限当日、とうとう原稿が完成しなかったことを伝えた。それに対して、完成していないなら掲載は取りやめるとの回答であった。


以上がコトの顚末である。結局再度提出するはずの原稿は完成せず、学報への掲載の話も立ち消えとなった。これが原稿を飛ばした初めての経験である。

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