戻る

  郡 蘭子

追悼文
叔父・郡長昭の想い出
P174-180
 

  平成27年12月26日に本会代表郡長昭氏が亡くなりました。以下は、1月6日の葬儀にあたり、いただいた追悼文です。


 (本日はお寒い中、私の叔父郡長昭の告別式にご参列を賜りまして誠にありがとうございました。
 この一週間あまりにもショックなことが重なりパニックになって、きちんとしゃべることができなくなるといけないので、前もって整理して書いてきたものをご挨拶として読ませて頂きます。)
  この山田教会は叔父長昭にとっては遠い懐かしい場所でもあります。
  彼の祖母である「郡舜(たつ)」は今から約110年程前に、この教会を設立するにあたり、少なからず携わってきた者でありました。詳しくは山田教会史という本に載っているのでご覧下さい。

  この舜おばあさんは、熱心なクリスチャンであったので、家でも牧師さんを呼んで家庭集会を開いていました。しかし、伊勢神宮のおひざもとでもあるこの地で、キリスト教を伝道していくことは、なみなみならぬものがあり、激しい迫害を受けたそうです。
  家で家庭集会を開いていると「ヤソは出て行け!」と言って窓に石をぶつけられたり、汚物をまかれたりしたそうで、それはそれはひどい嫌がらせを受けたそうです。
しかし、彼女の夫、郡茂昭はキリスト教に深い理解があったので、妻の伝道を助け協力していました。この舜の夫は桑名藩のラストサムライでした。
クリスチャンの新渡戸稲造は「武士道」という本をアメリカで発表しましたが、この舜の夫も、つまり郡長昭の祖父ですが、武士道とキリスト教とは深い意味でつながっていることを感じていたのでしょう。
このような信仰の中で、舜の6人の子供は自然と神を信じるようになり、洗礼を受けて、またその孫に当たる者が今日ここで葬儀を出させて頂いた郡長昭であります。
  彼は子供の頃、この教会付属のライカー幼稚園に通っていた兄や姉達に連れられて、よく教会に遊びに来ていたそうです。
  ですから、この教会は叔父にとって魂のふるさとのような所でしたから、このような叔父のために今日はここで葬儀をして頂けましたことを心より感謝申し上げます。
- 174 -
 

全文を見たいとき(pdf へのリンク)     トップページへ戻る