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  勢陽本覚寺 釋 恵照

随筆
『天竺記(てんじくき)(三)』
P96-104
 

(十一)ナグプール(南インド)

  日本に於けるインド旅行記の古典に『インドを這う』(「貧困と豊饒・混沌と悠久」)永淵閑、というのがある。その古典(日本に於ける「古典」ということであるが)
には人を旅に押出す「力」があった。私がおん出た!!『白い薄布で包まれているのが男で、赤い薄布で包まれているのが女の遺体とのことだが、すべて白い布だ。そして、どの遺体もミイラのようにやせ細り、爪先をそろえてピ
ンと天に向けている。』これはこれは……。
   『荼毘のそばでは、全身がよく焼けるように、棹で遺体を動かし、焼け具合いを調節しているひともいる。目の前三メートルほどの遺体は、下半身が先に焼けてしまい、上半身が焼けないので、腰から折り畳むようにしている。上半身を棹で立て、前に倒すとき、口から体液だろうか、水をグワッと吐く。骨盤から下はもうなく、頭から燃えさかる炎の中に突っ込んでいく。遺体の顔が私の方に向かって倒れてくる。思わず胃の中のものが逆流し、口を押さえ、横を向いてしまう。』ガンジス河沿いでの永淵氏の体験旅行記録ではあるが、その記録に言われた最初の数行の物語りであり、その昔、私を旅に、しかもインドへ押し出したものであった。当時のインド旅行はこのあと南インド先端ではコモリン岬、現在の名はカユヤークマリ、あの有名な「ヤク岬」まで、「トリヴァンドラム市」、「コチン」まで、ヒッピーと言われた若者たちの聖地へとつづいていたのであった。マドラス、バンガロール東西線以南は恐怖の、それ故あこがれの、麻薬地帯であったのでした。今は知らぬが、いまの南インド南端やいかん、である。「岬」もだ!!
  で、私のこの回はナグプール「竜樹村」とでも申しましょうか、『陽も少し弱ってきた四時過ぎ、眠りから目覚め、浜の右手に向かってブラついてみる。』
 

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