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  野上 淳

小説
『人生の献立表』
P66-95
 
  姉からの不幸な知らせを受けたとき、私の頭の中は真っ白だった。そんな中であることを思いついたのである。三十年近く生きてきたが、今までに考えた事もない計画を、頭の中に描いていることに気がついた。なぜそんな考えが浮んだのか、姉からの不幸な知らせに私の頭の中は整理の付かない混乱が起きていたのだろうか。いやそんな事は無い。予てから私の頭の中で悩んでいた事が、この姉からの電話で一瞬にして吹っ切れた。夫と別れて身を隠して二人の子供を育てる事に、夢中になっていると思っていた。が、やっぱり子供の躾けのことを考えると、だめな夫であっても子供には父親である。その考えは今も自分の心の片隅に確かにあるのだ。そしてもっと心の深い所で、女としての自分が居る。あれだけ痛めつけられても、女としての自分がいる。その事を否定する事は出来ない。女の弱い所を切り捨てたと思っていたが、そうではなかった。子供のためだけではない。いや、自分のために男が必要であることを知らされたのである。
  こんな悲惨な出来事は誰もが経験する事ではなかった。姉からの電話では小学校に通う長女を送り出した後、夫は田圃の草刈に行くと言って家を出た。途中で友人に会って立ち話をしていたのだが、突然二人はもみ合いになり夫が持っていた鎌を振り上げた、その鎌が相手の首にかかっていたと言う。姉の頭には今送り出した子供を遠くにやらなければと、それしかなかった。私の頭に咄嗟に浮かんだ事をそのまま実行に移す心算なのだ。なぜそうしなければならないのか、ほかにもっとよい方法がなかったのだろうか。こんな事で一人の男の人生を、自分の思いのままに動かしていいのだろうか。なぜこんな事を思いついたのだろう。あの時は自分として最良の考えだと思っていた。そう思わなければ、自分たち親子と姪が生きて行けなくなる。
 

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