松田實靭 小説 戦国武将・田丸直昌 『乱世の蛍』 P25-65 |
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「おのおの方は妻子を大坂に囚われている身ゆえ、さぞかし心配でござろう。されば、速やかにこの陣を去り、治部(石田三成)や備前中納言(宇喜多秀家)に味方されようとワシはいささかも恨みに思わぬぞ。……さあ、心おきのう上坂されよ」 家康がしばらくの間合いを作ったあとでしわがれ声を出した。床几の前ににじり寄った本多忠勝から何かの耳打ちを受けた後である。 そのことさらに平然さを装った声に、急ごしらえの陣屋に居並んだ諸将は震え上がった。 体を向き変えた本多忠勝の目が、立て膝のままでみんなを睥睨している。家康は下を向いて顔さえ上げなかった。 慶長五年七月二十四日、会津の上杉討伐に立ち上がった徳川家康が、諸将を江戸城に集めて宇都宮の小山にまで兵を進めたときのことである。石田三成の挙兵が家臣の鳥居元忠からもたらされたのだった。 軍議の前席を占めていたのは豊臣恩顧の大名である福島正則、山内一豊、 黒田長政、淺野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須加至鎭、田丸直昌などである。徳川家家臣 の本多忠勝、本多正信、井伊直政らが、陣幕の出口を阻むように後方に控えていた。 そのとき一陣の風が須賀神社前に仕立てられた軍議の仮屋に吹き込み、陣幕を大きく内側にはらませた。バンと大きな音をたて、これがまた諸将に極度の緊張を煽った。 「ワシは内府殿に御味方するぞ」 たまりかねたように福島正則が床几を立って大声を上げていた。 「拙者も内府殿に御味方する」 「もちろんじゃとも、何であの三成ごときに ……」
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