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  随想 『悩み多き青春、』
―高校二、三年の頃―
山神徳子
 


 桜の花満開の春休み。早朝から「ジリン、ジリン」と電話がなる。聖子からだった。
「春休みも、もう終りね。浜島へ遊びに来ない」――
突然の誘いに驚く。「うん、うん、行く」と私は喜んで返事をする。新学年が始まる前、退屈だった私は、さっそくバス電車バスと乗り継いで浜島の海岸に到着。そこに聖子がにこにこと迎えに来ていた。
「よく来たわね。今日、何の日か知ってる?エープリルフールよ」とくるくる悪戯っぽい瞳をして楽しそうに笑う。そうか四月一日か、担がれた。そうか、まあいいわと呑気に彼女の家について行く。まだ陽が高いので、小高い山頂の浜島小へ案内された。山の中腹にある美貴の自宅である極楽寺にも寄る。夜は聖子の家に一泊して相差へ帰った。四日には寮へ戻り五日の始業式を待った。

恩師の思い出
辻井葭(よし)子先生
 辻井先生の御両親と父は昔同僚だった。先生のお母様は師範学校首席で卒業されたそうで、伊勢市初の女の校長になられた方と伺っていたので、一年生C組を担任していただいた時から親近感を抱いていた。
 その辻井先生が二年B組の私の担任と分った時、「わあー、ラッキー」と喜んだ。小学五、六年の担任、中学二、三年担任との日々とは雲泥の差である。背が高く色白で、ふっくら、たおやかな感じの大好きな先生・・・・。
 私は二年生で初めて家庭科の辻井先生の講座をとった。三大栄養素とか必須アミノ酸のロイシン、バリン等二十種を丸暗記した。未だに栄養食品に関心が高いのは、この時が始まりと思っている。
 テストで私は百点をとれた。実は一問分らなかった。
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