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  随想 天竺記(てんじくき)(二)
勢陽本覚寺 釋 恵照
仏僧の旅行記
 


(九)前正覚山(ぜんしょうがくざん)

インド紀行ということで、天竺旅行ということで、ここブッダガヤまで来たんだが、いやいや待て、待て、ということを自問自答しつつ実は、この山に来たのだ。何んで待つのか。やはりブッダガヤ大塔の足下への強い指向性に対するストップモーションであるのだろう。そう急ぐこともない、もうここまで来たんじゃないか、との思いである。で、この山、この丘、ということだろうか、この正覚山。ふだんから何千メートルの山によく登るこの私にしてはいかにもこの山は低い。殆んど丘、という
ことで、雨の中すこうし、煙っている。ご多聞に漏れずその山の中腹にあるその洞窟も、どうやらヒンズーの「占拠」せられるところのようである。現代のインド、その仏跡といわれるものの殆んどがこの「ヒンズー教徒」の占拠せられるところであり、この山の、この「洞窟」も例外ではない。「この洞窟」とはもちろん釈迦の修行し、すわりつづけ、そこを立ち去るまでの何年間かとどまった場所である。その山に登るまでに通過した村々があった。
田植のまっさい中。半裸の男たちが、深い泥田の中で手作業で悪戦苦闘しているように私には見えた。
村の入り口に金の色をした銅像があった。その周囲をまわってみた。
ものの写真でよくみたB・R、アンベードガルの半身像である。金色に輝くその姿は、貧しい村と好一対。家々は「あばら屋」で、その家の塀には牛の糞が固めてはりつけてあり、その乾燥を待って、燃料にするのである。
「におい」があった。どんな「におい」か、それをあなたに伝えるためには、いろんな手段もあろうが、私はここであなたに告げよう。日本を飛び立つ時、インド航空便の中のにおい、(ヒンズーのにおいか)それがインドのにおい。
そしてそれはアナタが「インドのにおいと思っているにおい」それである。
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