祖母多喜乃の夫は第2次大戦前、欧州某国の大使館付補佐官をしていた。祖母はその主人とともに欧州で任地を転々と移動していたと聞く。夫・勇雄が亡くなったのは終戦後10年ほど経過した頃だった。祖母は口には出さないが、戦中戦後の混乱期を歴史の舞台裏から見てきたはずで、条件が許せば自分が体験したその時代を豊かに語ることができたに違いない。国際社会で活動している夫を支えて懸命に生きてきた中で、日本人としての誇りを持ち続けていた。
●ここはいったい何処
ところであなたは夜中にふと目を覚ましたとき、ここはいったい何処?としばし思い惑うことはありませんか。
夫の転勤にともなって、任地を移動するため、引越を繰り返してきた。そんな生活が嫌だという人もいるが、祖母にとってはむしろ楽しいことが多かったという。
それで歳を取ってからでも、夜中にふと目を覚ましたとき、そこが暗闇であったとすると、ここはいったい何処なのか判断できないのだった。
いの一番に思い出すのは少女時代に育った家の自分の部屋ではないかと思う。そこには安らぎや懐かしさが一杯詰まっていた。自分自身が快活に動き回り楽しい毎日を送っていた時期であった。どの断片を拾っても楽しさが充ち満ちている。しかしここはどうも違うようだ。
寝室が暗くて何も見えないときは、周辺の物音を聞こうとする。深夜のはずだが、からんころんと下駄の足音を立てて外の道を歩いている人が居る。ならばここは日本の田舎町だ。田舎の家で暮らしていた頃のあの家かもしれない。
部屋の中で大きな息遣いが聞こえるのは、主人の寝息であろう。とすると
(1)
|