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  小説 『田浦家の人々』
藤田章子
 



プロローグ
 文具店「タウラ」は十二月半ばに入ると恒例の割引セールに入る。そして三十日は店の大掃除。それからは三十一日から新年の五日までが休みだった。従業員は野本ハナミを含めて四名。皆で手分けしつつ店内の掃除にかかるのである。掃除がすむのは大体午後の四時すぎだった。その頃になると経営者の田浦泰造、妻のタキエ。それに息子夫婦の浩二と頼子さんが従業員の前に姿を現わした。
「この一年、よくやってくれた。来年もよろしくたのむ」。泰造は四人の顔を見回しながら本年度最後の労いの言葉をかけ、自ら筆で書いた御祝儀の袋を、従業員の一人ひとりに手渡した。ふだんは口やかましいタキエもこの時は神妙な顔つきで夫と並んでいたが、御祝儀が渡されると、
「浩二も頼子さんも、よーく見といてや。これが「タウラ」の年末のしきたりなんや」。
  タキエは力をこめて息子夫婦に言う。
  浩二は東京の大学を卒業したあと、郷里には戻らず商社に長年勤めていた。同じ職場の頼子さんと恋愛、結婚したのだった。「タウラ」の店を継ぐ気などなかった浩二だが、泰造も年を取り、「タウラ」の後継ぎを考え息子夫婦を呼び寄せたのだが、浩二は自分が生まれ育ったこの町に余り愛着も持てず、地方の小さな町に、ただ、退屈で何もない町だなと、言うばかりだった。
  でも妻の頼子さんは性格のきついタキエによくつかえ、「タウラ」のために神経をつかっているのだった。それでもタキエは嫁には冷たくあたり、従業員の前であっても頼子さんに向ける感情は、ただならぬものがあった。そんな「タウラ」の日常を目の辺りにしながらも、ハナミは従業員の一人にすぎないが、地方の町に移り住んではめて迎える新しい年を賴子さんはどんな思いでいるかと、ふと気掛かりになるのだった。
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