平成26年4月発行 表紙画 『波切にて』/郡 楠昭


山神徳子     随筆   『高校一年生の思出』   10頁    戻る

 遥か遠い昔のようであり、この間のように感じる六十五年前、
(一九四九年)十六才の私は新しく発足した県立鳥羽高等学校に入学した。

この三年間の生活は、寄宿舎と切り離しては語れない。
昭和二十年代はガソリンも不足で、バスは木炭で走っていた。
相差から鳥羽まで、バス通学は時間もかかるし、本数も少なく無理であったので、
新設の寄宿舎に入ることになった。

<初めての寮生活>
 鳥羽の錦町通りから路地へ入り、父と私は車から下りた。
すぐそこは城山の右端の裾(すそ) 野である。二、三十段の巾の広い階段を見上げると、
高く大きな鳥居が建っていた。階段を登ると、そこは広い境内で、その先には生い
茂る緑の木々に隠(かく) れるように小さな階段があり、またその奥に本殿があるようだった。
境内の右手に屋根のあるつるべ式の井戸が見えた。

私の入る寄宿舎は、鳥居をくぐってすぐ右手の所にあった。
薄っぺらな板塀(べい) 越しに木の香も新しい平屋の女子寮が見えた。
板戸を押して入ると、五、六米の所に玄関があり、右側に舎監室が二つ、
左側は廊下を挟(はさ) んで大広間と四室が並んでいた。

父は玄関上り口で、母が新しく作ってくれた布団を布団カバーから急いで出し、
階段下に待っている知人の車に乗って慌ただしく去っていった。
小机と行李(り) 一つと私はとり残されて、不安な気持ちでいっぱいになった。

決められた部屋は左奥四つ目にあった。新しい二枚の障子を開けると、
右手に一間の押入れがあり、前の窓を開けると、むっとした部屋の空気が押し出され、
中庭からさわやかな風が入ってきて、少し気が落ちついた。

中庭を挟んでもう一棟あり、廊下でつながっていて、トイレと二部屋、一番奥に浴場があった。
一棟目の廊下の突き当たりに開き戸があり、開けると、一段低いコンクリートの
広く寒々とした炊事場があった。

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私評