平成26年4月発行 表紙画 『波切にて』/郡 楠昭


郡 長昭     編集後記「もしかしてだけど・・」  1頁   戻る               

 どぶろっくという二人組のタレントが唄う「もしかしてだけど・・」がはやっている。
「もしかしてだけど・・電車で隣に坐った若い女がコンパクトを取り出し化粧をしだしたんだ。
そして鏡に映るオレに熱い視線を送ってきた。どうやらオレに気があるらしい。
コンパクトを閉じてもっと積極的にアタックしてくれ、そうすればオレは受け入れたのに」ー
「もしかしてだけど・・」以外の歌詞は様々に変化する。この歌のどこがおもしろいのか?。
ズバリ勘違いの妄想にあり、笑いつつも(あるある、オレにもあるなあ)と思わせるところだ。

これとよく似た発想の歌に、30年ほど前に植木等が唄った「ハイそれまでよ」があった。
「─てなこと言われて、その気になってーしたらガラリと態度を変えハイそれまでよ。
ふざけやがって、ふざけやがって、この野郎!」

 この二つの歌は発想は似ているが落ちが違う。どぶろっくの歌は、妄想にとらわれるが、
それが自分一人の妄想であることえを恐れ、それを確かめるための行為さえしていない。
植木等の歌は相手と自分を信じ行為した後「ハイそれまでよ」と裏切られ「ふざけやがって、ふざけやがって!」と叫ぶ。
これはバブル期の浮かれた自分に冷水を浴びたショックであり、その後「わかっちゃいるけどやめられぬ」と哄笑している。

陽と陰の時代背景の違いなのかもしれない。

 しかし誰もが日々なんらかの妄想を抱きながら暮らしている。妄想は代替行為であり、表現されない限り
他者を傷つけることもない。妄想のない日常とは、なんと味気ないことだろう。普段口に出せない妄想も、
秘かに思えば快感である。創作するときには、それが発想のきっかけにもなる。
人に笑われることを恐れず、今後も私たちは大いに妄想しようではないか。

 ところで、私もこうつぶやいてみよう。
「もしかしてだけど・・オレが芥川賞を取ったなら、記者会見でこう言おう。妄想こそ私の創作の源泉です・と」

〈追伸〉
 この度文芸同人誌「勢陽」の代表に私、郡長昭が推薦を受け就任することになりました。
 よろしくお願いします。

P195 .


.P1 . (以上は最初の1頁)