平成26年4月発行 表紙画 『波切にて』/郡 楠昭


郡 長昭    小説 『逆流する時とともに』   28頁    戻る

 社会福祉団体「浄世会」の施設は、市中央部にありかなり広い敷地を有している。
ただ私鉄の高架線路が人々の目を邪魔しているためか、市民のほとんどに知られることはなかった。
それだけではない母子・孤児支援、ドメスチクバイオレンス、児童虐待防止─などの施設という性格上、
自ら人目を避けているといえよう。

 その施設の奥まった一角に不登校の子供達が通ってくる小さな教室がある。
穴蔵のような孤立した静かな部屋だ。そこの教師として私は半年前から勤めている。
生徒は小学生から高校生まで30人ほどで、一応時間やカルキュラムは決められているが、
ほとんどの者は来たいときに来て、帰りたい時に帰った。
一日中絵を描いている者もいれば、来るなり机にうつ伏せて目を覚ますと黙って帰っていく者もいた。

「学校に行けない子供達が、来るところがあるだけで救いになっているんです」
僧侶の資格をもつ老院長の言葉が、困惑していた私の気持ちを楽にした。
子供達のほとんどは教師という立場の人間に拒否反応があるのか親しみを表す者はなく、
私もあえて彼らの中に踏み込もうとはしなかった。

存在感がなくノッペリとしている子供達の中で、いつの頃からか一人の少年が気になっていた。
純一と呼ばれている中学3年生の彼は、少々斜視気味の暗い目をしていたが、
特に他の子供と違っていたわけではない。
いつの間にかやってくると教室の隅で本に目を落とし、気がつくとその姿を消していた。
「なに読んでるの?」とのぞき込み声をかけたことがある。彼は無言で本を閉じ教室を出ていった。
その態度に傷つくこともなかったが、どこか引っかかるものがあった。
ある日彼が読みかけの本を伏せ、トイレに立った。


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私評